新建築社のブログ

建築専門の出版社・新建築社よりイベントレポートや書籍に関連した情報をお送りします!

建築家は何を想い,何を未来へ託そうとしたのか.藤森照信氏が語る『丹下健三』の記憶.

 
2002年に,新建築社より限定2,500部で刊行し,長らく品切れとなっていた『丹下健三』(著:丹下健三藤森照信)をこの度,デジタル版として9月4日より配信を開始しました.
デジタル版配信にあたり,著者である藤森照信氏に当時のエピソードを伺いました.
2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会を控え,2020年とその後の社会についてさまざまな議論が交わされています.こうした中,改めて前回(1964年)の東京大会を振り返り,その時,建築家は何を想い,何を未来へ託そうとしたのか,多くの施設を手がけた丹下氏の言葉と設計を通して,その思想の一端を知ることができるのではないでしょうか.
また,書籍の再刷に向けたプロジェクトも進めております.書籍の再刷についてはみなさまの応募を募っております.再刷された際に購入をご検討いただける方はフォームより必要事項の記入をお願いいたします. (編)
※本記事は先日公開した藤森照信氏へのインタビュー動画を書き起こし,編集したものとなります.
※本記事は『新建築』2018年1月号に掲載された記事を転載したものです.

 

 

 

丹下はインタビューを嫌がる方で,「昔話より今の話を聞きなさい」とよく言っていました

─2017年9月に『丹下健三』(発行:2002年9月)のデジタル版が配信されました.この書籍をつくるに至った経緯を教えてもらえますか? 

この書籍が2002年に出版されるまで,丹下はモノグラフはおろか展覧会でさえ一度も開催したことがありませんでした.

にわかに信じがたいのですが,自分の事歴を振り返ったり記録することにまるで関心を持たなかったのです.インタビューでも同様で,これまでの作品について質問しても「君はなぜ過去に興味を持つのか」といって,結局,今取り組んでいる設計やこれからの都市像などの話をされていました.すべての関心が常に未来へ向いている,そんな方でした.

 

改めて振り返ると、私たちは、たまたま見た作品と読んだ文と伝え聞いた話のほか、丹下についてちゃんとしたことは何も知らないのである。

丹下健三』序文より

 

当然,評伝をつくりたいと提案したところで興味を持ってもらえるわけもなく実現しないだろうと思っていたのですが,ある日突然,丹下から電話があり,中学生向けの評伝ならばつくりたいとおっしゃったのです.しかし私としては,まずは大人向けの評伝をつくり,一般の理解を深めた後に子ども向けをつくった方が,きちんと伝わるのではないかと思い提案したところ,丹下も快く受け入れてくれてました.

出版社についても丹下は慎重でした.

実は戦後のジャーナリズムにおいて丹下は批判的に扱われてきたのです.『新建築』は当時から丹下の建物をきちんと紹介していたこともあり,新建築社から出版することに決まりました.こうして「世界のTANGE」となるまでを,出自から丁寧に紡いでいくまたとない機会を得ることになりました.

 

 

コルビュジエが夢見た「ソヴィエト・パレス」を丹下が引き継いで実現しているんです

─2020年には,1964年以来の東京オリンピックが開催されます.丹下が語ったオリンピック関連のエピソードで印象深いものがあれば教えてください.

 丹下が生涯で倒れるほど集中して取り組んだプロジェクトがふたつあると聞きました.ひとつは「香川県庁舎(本誌5901,6406,9804,『丹下健三』216〜227頁)で,そしてもうひとつが1964年のオリンピックの関連プロジェクトであった「国立屋内総合競技場(東京オリンピックプール)(本誌6410,『丹下健三』312〜339頁)です.

広島ピースセンター(本誌5606,『丹下健三』161〜169頁)はどうなのかと思われるかもしれませんが,どうやら予算確保に時間がかかったために、その間に設計する期間が十分取れたようです(笑).

「国立屋内総合競技場東京オリンピックプール)」について,私はこれを超える建物はもう現れないだろうと思っています.鉄とガラス,コンクリートという近代建築を構成する素材を最大限に活かしたダイナミックな造形は,コルビュジエの作品以降,世界を代表する名建築と言えるのではないでしょうか.

また,丹下はコルビュジエの夢を引き継いだ建築家でもあります.

丹下は子どもの頃からアートに強い関心をもっていましたが,高校生の頃は映画監督になろうと考えていたそうです.しかし,コルビュジエによる未完の建築「ソヴィエト・パレス」を学校の図書館にあったフランスの雑誌で目にし,その迫力に圧倒されたと回想しています.これが契機となり,その後は建築家を目指すようになったのです.

コルビュジエに薫陶を受けた建築家は世界に数多くいますが,「ソヴィエト・パレス」の構成や設計思想を自身の建築にも取り込んだのは丹下とエーロ・サーリネンのふたりだけだったと私は見ています.そして,その挑戦がもっとも建築的に表現されたのが「国立屋内総合競技場東京オリンピックプール)」でした.

オリンピックという社会的な責任のほかに,丹下個人としても思い入れの深い作品だったからこそ,倒れるまで集中して設計に取り組んだのではないかと思います.

 

 

本に関わってくれる人全員が協力してくれる絶妙な時期に本をつくれたと思います

─本をつくっていく中で印象深かったエピソードがあれば教えてください.

 主に私がインタビューやヒアリングをもとに原稿を書いたのですが,内容に関する丹下の修正は3カ所のみでした.500頁を越える内容にも関わらず,です.しかも修正箇所は事実確認のみで,私の表現を尊重してくださった.こうした考え方に,丹下のクリエイティビティに対する姿勢が如実に表れていると思います.

さらに,丹下は1枚1枚の写真選択やトリミング,そして文章の段組み,フォント,誌面レイアウトの細部に至るまで,まったく妥協せず,何度もやり直しを求めました.出版までに7年も掛かった理由はここにあります.

丹下のグラフィックへのこだわりは図面表現からもうかがえますが,その徹底した姿勢に丹下の神髄を垣間見たように感じました.

丹下が晩期に差し掛かっていたこの時期でなければ『丹下健三』は出版できなかったと思います.それくらい成熟期における丹下の表現へのこだわりはすさまじかった.年齢的に人生を振り返る余裕が持てたタイミングで,かつ関係者がまだご存命で直接話を聞くことができた,まさに絶妙な時期だったのです.さらに谷口吉生といったインタビューを引き受けない方々も『丹下健三』であればと協力してくれた(笑).当時既に著名であったカメラマンの石元泰博も同様に丹下であればと写真版権を無償で提供してくれた.

 

 しかし、それまでコツコツ続けてきた資料集めと、丹下側の家捜し的調査にもかかわらず、丹下の全体像を明らかにするには足りないので、『新建築』誌上に「丹下健三とその時代」と題する関係者へのインタビューを連載することになり、高山英華、清家清、石元泰博大谷幸夫、川添登、神谷宏治、槇文彦菊竹清訓磯崎新、渡辺定夫、川口衞、黒川紀章に貴重な話を伺うことができた(1998年l月号から1999年11月号まで)。『新建築』誌上には出さなかったけれど、谷口吉生にも聞いている。もしこれに浜口隆一と浅田孝のふたりを加えれば完壁な顔ぶれとなるが、すでに幽明境を異にしているのだから仕方がない。浜口と浅田と西山夘三、今泉善ーには、生前、別の機会にインタビューしたのが、このたび生きることとなる。こうした関係者の肉声なしにこの評伝は成り立たなかったし、たとえ成り立ってもずいぶん痩せたものにしかならなかったろう。

丹下健三』序文より

 

いくつかの運が味方してくれたこと,そして何よりも関係者の丹下に対する敬意が出版を後押ししてくれました.結局,この書籍が丹下自身の手による唯一のモノグラフとなりました.

 

(2017年9月4日収録) 

 

丹下健三』再刷プロジェクト進行中!!

デジタル版として配信中の『丹下健三』は一定数以上の応援(2018年1月9日現在:230/400名)があったら,再刷することを検討しております.再刷を応援してくださる方は下記リンク先から申し込みフォームに必要事項をご記入の上,送信ください.

送信頂いた方には,再刷が決定すれば先行購入,割引,お知らせなどお得なサービスを提供することを予定しています!

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特設サイト:http://www.japan-architect.co.jp/tange/

申し込みフォーム:https://goo.gl/forms/1Sp5bosPXSsJAgM82